HOME > 學術活動 > 研討會
 
【會議主旨About】


【中文】

     馬克斯・韋伯(Max Weber)將近代的基本趨勢的「合理化」,稱之為「脱魔術化」,此事眾所皆知。這個詞彙,若只意味著一個驅逐巫術魔物,並藉由合理的理性使支配自然成為可能的運動,而以此來想像近代化的話,「近代化中的神話」這個題目,或許令人感覺怪異。然而,即便是對韋伯而言,近代化和神話的結合,也決非偶發事件。因為他除了將定義人類存在方式的根本價值基準予以多樣化,還以「諸神間永遠的爭鬪」的詞彙,承認無法調停的衝突是生存的根本事實,並暗示這是人類生存上不得不從兩個相互矛盾的立場中做一選擇的宿命。說穿了,作為「脱魔術化」的近代化,除了指出了生存根基的不合理性,同時也指出了即便是不合理,但為了確保自我認同(Identity只好接受神話這樣的根基,在此,我們可以察覺近代化與神話這兩個看似相反卻具必然性的關聯。

     神話的發生,當然,在19世紀後半、開始出現源自西方的近代化浪潮的東亞,也可以看到。這個地區,正顫慄於被西方列強殖民的恐怖,而早一步將船舵轉向近代化的日本,於是企圖捨棄封建時代具有全面支配性的儒教世界觀,這意味了日本也被捲入了關乎自我認同的「諸神之争」。這個爭鬪,例如不只是反對一昧模仿西方的民族主義(Nationalism),連看似持有相反意識形態的共產主義(communism)也一同加入戰局,而且並不限於像這樣的對立圖式,而是在非常多樣的局面下,至今也仍然持續進行著。而遭受日本侵略與統治的台灣,因近代化而解放的自我認同的相克,又更顯複雜。在那裡,在前近代的清朝統治下的多元民族群所構成的自我認同之上,加入了本身就是一個虛構神話的「日本」,又重疊著日本敗退後來台的國民黨的基於鞏固統治權的理念,甚至因為急速的經濟發展致使兩岸關係更緊密化的中華人民共和國的陰影,也籠罩於上。

     在近代化的歴史中,有什麼樣的神話是為了確保我們的身份認同而被生產與消費的呢?――就只以台灣和日本來看,想在兩者的關聯性上捕捉其全貌,無庸說,非一朝一夕可能辦到。但顯而易見的是,針對東亞近代化的問題,以精神史手法加以討論,對未來世代的國際關係的充實與發展而言,將是不可或缺的課題。此次的小型科際整合研討會的策辦,便是為了考究此一課題所踏出的第一步。(李淑珠譯)

 

 

【日文】

     マックス・ウェーバーが近代の基本動向である合理化を「脱魔術化」と名づけたことは、よく知られている。この言葉から、呪術的なものを打ち払い、自然を合理的理性によって支配可能していく運動としてのみ、近代化を思い描くならば、「近代化のなかの神話」というテーマは、奇異に思えるかもしれない。しかしながらウェーバーにとっても、近代化と神話との結びつきは、けっして偶発的なものではなかった。というのも彼は、人間のあり方を定める根本的な価値基準が多様化し、しかも調停不可能であるという事態を、「神の永遠の争い」という言葉のもとで、生の根本的事実として認めていたのであり、しかも、そのことはまた、人間が生きていく限り、相互に矛盾しうるそうした立場のいずれかを選択しなければならないという宿命をも、含意していたからである。いってみれば「脱魔術化」としての近代化は、生の地盤の非合理性を示すとともに、たとえ非合理であっても、そうした地盤、すなわち神話を、自らのアイデンティティの確保のために引き受けざるをえないことを、同時に暴露するのであって、ここに私たちは、近代化と神話という一見相反する事柄の、むしろ必然的な連関を見ることができるのである。

     神話の発生は、当然のことながら、19世紀後半、西洋に発生した近代化の波に現われ始めた東アジアにおいても認められよう。この地域において西洋列強による植民地化の恐怖に慄き、いち早く近代化へと舵を切った日本は、封建時代を統一的に支配してきた儒教的世界観を振り捨てようとしたが、そのことは自己のアイデンティティを巡る「神の争い」に巻き込まれることを意味していた。この戦いは、たとえば西洋の模倣に対する反動たるナショナリズムとしてだけでなく、それとは一見相反するコミュニズムの方向に向けても、戦われたのであり、また単にこうした対立図式に限らず、きわめて多様な局面のなかで、今も続いているといえる。日本による侵略と支配とを蒙った台湾の場合、近代化によって解放されたアイデンティティの相克はより一層複雑である。そこでは前近代の清朝の統治下における多様な民族相が紡ぎだすナショナリティの上に、それ自身一つの虚構的神話である「日本」に加え、日本の敗退の後にやってきた国民党の支配権維持の理念が重なるし、さらに急速の経済発展によって関係が緊密化した中華人民共和国も影を落としている。

     近代化の歴史のなかでいかなる神話が私たちのアイデンティティの確保のために産出され消費されてきたのか――台湾と日本に限ってみても、その全体像を両者の関係性のなかで把握することは、いうまでもなく、けっして一朝一夕になしうることではない。しかしながら東アジアの近代化の問題を精神史的に考察することが、次の世代の国際関係の充実発展にとって、不可欠の事柄であることもまた明らかであろう。今回のささやかな学際的シンポジウムは、そのような課題追求のための一歩となることを期して、企画されたのである。